
企業がどのような人材教育をすれば、従業員の能力向上につなげることができるでしょうか。KPMGコンサルティングで組織・人事分野を手がける油布顕史プリンシパルに語ってもらいました。
「仕事能力の向上を実感したことがない」は4割強
日本生産性本部が2021年10月に実施した「働く人の意識に関する調査結果」(複数回答)によると、「仕事能力の向上を実感したことがない」と答えた人は43.0%に上りました(図1)。「(仕事の)能力を高める必要があると思わない」との回答も22.7%を占めました(図2)。回答者を年代別にみると、20代が約3分の1(31.9%)、30代が約4分の1(25.5%)で、若者の仕事能力向上に対する意欲の低さがうかがえました。
一方、「仕事能力の向上を実感した人」の理由(図1)をみると、「従来よりレベルの高い業務を担当した」「従来とは分野の異なる業務を担当した」など、これまでの業務とは異なる視点・立場で仕事を経験した項目が上位に並びました。このことから、従業員に仕事能力向上を実感してもらうには、仕事自体のアドバイスよりも、これまでとは異なる仕事の実践機会を与えることがポイントと言えそうです。


しかし、現在の企業の人材育成は「職場の管理能力向上」「法令対応」といった知識習得を目的としたものが中心です。特に、新型コロナウイルス禍でリモートワークが主体になって以降、この流れが強くなっているように感じます。企業は従業員の仕事能力を向上させるために、知識習得を中心にした人材教育から未知の業務やレベルの高い業務の体験を軸にした教育にシフトする必要があります。
成長意欲の高い人材に絞ってOJT
職場の上司・先輩が後輩に対し、実際の仕事を通じて指導し、知識や技術を習得させるOJT(職場内訓練)はかつて日本企業の人材育成の核でしたが、最近はホワイトカラーを中心にその機会が減っています。今後は環境変化のスピードがこれまで以上に速くなることが予想されます。これまでの画一的な人材育成から成長意欲の高い人材に絞ってOJTを提供し、真のタレントの育成に努めることが必要です(図3)。

実施にあたってはまず、能力向上意識の高い人材であるトレーニー(育成を受ける社員)の見極め・選定を行います。これは職場の管理監督者に確認して選出することもできますが、働きがいに関するアンケート調査を実施し、その結果から意識の高い人材の母集団を形成する方法が効率的です。
次に、対象者ごとにこれまでの業務経歴・人事考課結果を通じて長所や成長に向けた課題などを確認し、向上させるべき仕事能力を特定するのがよいでしょう。個人ごとに成長課題を特定したら、現場の管理監督者と配置に関する調整を行います。部門をまたぐ異動も考えられるため、人事部門と連携しながら進めるとよいと思います。
そして、ここからOJTの実践に移ります。トレーニーが配属される前に、指導・評価を行う管理監督者に新しいOJTの趣旨と期待役割を伝えておき、トレーニー配属後のオリエンテーションで管理監督者は仕事のミッションやオペレーションを説明し、仕事の心構えややり方についてアドバイスします。新しい業務を行う前の助言はトレーニーにとって貴重な情報であり、仕事の向き合い方を高めます。
その後の業務体験中の指導・フィードバックはOJTの核になります。フィードバックでは事実に基づき、良い点と成長のための課題をセットで伝えます。ポイントは良い点も改善点も気づいたことはその場で端的に伝え、双方で話し合うことです。
最後の振り返りと評価ではこれまで伝えたフィードバック内容を確認し、改善できたかどうかを話し合い、管理監督者はこの期間で得られた成長についてトレーニーからフィードバックを受けます。このように計画的に育成された人材は多様な部門で業務を手がける機会を通じ、組織内共通の認識基盤が自然と形成され、情報の交換や共有によって組織内のすり合わせがやりやすくなり、コミュニケーションスキルの向上に伴い収入もおのずと上がっていくと考えられます。
また、管理監督者はトレーニーの仕事に対する習熟度に合わせてティーチング(教える)とコーチング(傾聴してヒントを与えて気づかせる)を使い分けるテクニックや、トレーニーが素直に耳を傾けてくれる伝え方の技法を学んでおくと効果的です。
現在は従業員が他社での経験も含め、 会社でどのような価値ある経験をしてきたか(エンプロイー・エクスペリエンス=従業員体験)に注目が高まっています。この価値経験が多いほど働きがいが高まり、組織の定着率も高まるといわれます。これまで日本企業は従業員を「集団」で捉え、一律の教育・育成策を提供してきましたが、従業員の働く価値観が多様化する現在は従業員を「個人」として捉え、これまでの経験を通じて各自が感じたことに焦点を当てた人材育成策を検討し、実行する「個別最適な育成マネジメント」が求められます。先進企業では従業員個々の体験を測定し、個人ごとに働きがいを高める施策を提供しています。
価値ある体験を提供できるベテラン人材がカギ
冒頭の調査で「(仕事の)能力を高める必要があると思わない」と考える若者の多さを指摘しましたが、裏返せば「会社が従業員に対して能力を高める必要性を感じさせるような仕事の環境を与えていない」と言えます。従業員に能力を高める必要性を実感させるのは、従来よりレベルの高い仕事や異なる業務を担当させ、これまでの仕事のやり方では通用しないことを実感させることが重要です。自律的な社員は成長意欲が高いため、最初にポイントを示せば要領を熟知し、能動的に仕事を進めてくれます。
このような社員を増やすための新しいOJTは職務経験が豊富なベテラン人材・管理職の育成が欠かせません。企業採用者に聞くと、ベテラン人材・管理職の採用要件に「人材育成力(組織や人材を成長させた経験のある人材)」を求める声は多いです。人材育成力があればその人の市場価値も高まると思いますので、この機会に実践してみてはいかがでしょうか。
油布顕史(KPMGコンサルティング)
組織・人材マネジメント領域で20年以上のコンサルティング経験を有する。大手金融機関・製造業・サービス業界の人事改革支援に従事。事業会社、会計系コンサルティングファームを経て現職。組織人事にまつわる変革支援-組織設計、人事戦略、人事制度(評価、報酬、タレントマネジメント)の導入・定着支援、働き方改革、組織風土改革、チェンジマネジメントの領域において数多くのプロジェクトを推進。企業向けの講演多数。
[NIKKEI STYLE キャリア 2022年01月19日 掲載]