長崎→東京→福岡のJターン スピード移転の果実は何か?

東京Escape

テレビ通販で知られるジャパネットホールディングス(HD)。創業の地の長崎県から事業拡大に伴い東京に進出し、2021年12月、再び九州の福岡市に本拠を移す。福岡の候補地を知ってから、2カ月で大筋決めたスピード決断だった。「Uターン」ならぬ「Jターン」に、どんな思いをかけたのか。

20年7月2日。一通の封書がジャパネットHD社長の高田旭人の手元に届いた。中には美しいガラス張りのオフィスビルの資料。送ったのは福岡市のデベロッパー、福岡地所社長の榎本一郎だった。高田は榎本と旧知で、「いい物件があったら教えてほしい」と伝えていた。

2カ月後に購入で大筋合意

高田は4日後、早くも福岡に出向き、榎本に直接「ここに入居したい」と伝えた。榎本が紹介したのは、福岡の一等地に建設中の「天神ビジネスセンター」。賃貸物件としての入居を想定していた。ところが高田は「フロアを区分所有できないか」と打診する。

高田は2カ月後の9月、19階建てのうち3フロアを購入することで大筋合意したという。資産が多くない財務面を考えると、「所有して入居するのが前提だった」(高田)。

記者会見するジャパネットホールディングス社長の高田(左から2人目)。右隣が福岡地所社長の榎本(福岡市)
記者会見するジャパネットホールディングス社長の高田(左から2人目)。右隣が福岡地所社長の榎本(福岡市)

高田は東京からの本社機能移転を長く検討していたわけではない。新型コロナウイルス禍が到来するまで、移転は「全く考えていなかった」(高田)。しかし、20年春の緊急事態宣言以降、在宅勤務が広がると、社内から「出社する際の通勤が負担」との声が聞こえてきた。

通勤時間は東京40分、福岡15分

「データ、とってみて」。高田は東京の拠点と、創業者で父の明が事業拡大に伴い設けた福岡の拠点で、社員の平均通勤時間がどのぐらいかを調べてもらった。東京圏が約40分だったのに対し、福岡は約15分と半分以下だった。

そこで思い切って福岡への移転を決めた。新拠点は約200人体制で、21年12月16日にも稼働する。「東京である必要はない」と判断した部署など、グループの12部門が東京や長崎から移る。

ジャパネットホールディングス社長の高田
ジャパネットホールディングス社長の高田

ただ、新拠点の社員の大半が中途などで現地採用した人だ。福岡で採用を始めると「びっくりするほどいい人がたくさんいた」(高田)。家庭の事情などで福岡に移り、フルタイムで働くのは難しいが「全国レベルで仕事ができる一線に戻りたい」という女性などから応募があった。デザイナーなどのクリエイター人材や若い人材も多く採用できた。

「福岡にとって、(東日本大震災を機に)LINEが拠点を設けた時と同じぐらいインパクトがあるのでは」。天神ビジネスセンターの開発を担当する福岡地所の木村剛士は語る。福岡は、九州大学などの高等教育機関が多い割には、卒業した人材が県外で就職してしまう傾向があった。「新たな選択肢になり、若い優秀な人材が県内に残るきっかけになる」と期待する。

スピード決断の最大の果実

現地の優れた人材。それが、高田が福岡への移転をスピード決断した最大の果実だった。

企業が集まる博多や天神は、福岡空港が近くにあることで建造物の高さ制限などが響き、オフィスビルの新陳代謝が進んでこなかった。そこに福岡市は15年から、規制緩和によって街の再開発を促す「天神ビッグバン」施策を仕掛けた。国家戦略特区を活用することで高さ制限の緩和を可能とし、ビルの容積率緩和を期限付きで認めたのだ。

福岡市の中心部では再開発に向けた解体作業などが進む。中央奥がジャパネットHDの入居先である天神ビジネスセンター
福岡市の中心部では再開発に向けた解体作業などが進む。中央奥がジャパネットHDの入居先である天神ビジネスセンター

10月中旬、市のなかでも地価の高い天神周辺を歩くと、工事中のパネルがあちらこちらの敷地にあった。建築計画は市の当初の想定を上回るペースで伸びており、今後オフィスビルが続々と完成すれば、「通勤目的で歩く人の割合が増え、人の流れも変化しそう」(木村)という。

ジャパネットが入居する天神ビジネスセンターもこのエリアにある。同センターが制度を活用してできた初のオフィスビルとなった。ジャパネットはそこへの入居を表明した最初の企業誘致事例となった。市の取り組みの成果として大きく発信され、人材採用にも真っ先に乗り出すことができたのだ。

天神ビジネスセンターは福岡市の施策「天神ビッグバン」を活用して19階建てになった
天神ビジネスセンターは福岡市の施策「天神ビッグバン」を活用して19階建てになった

高田は移転検討と並行して、東京などのオフィスの徒歩圏に住む社員に、毎月手当を出す制度も始めた。食堂のない拠点にいる社員に昼食代を出す取り組みも始めている。

「寝ないと力を発揮できない」

いずれも背景にあるのは自分の経験だった。大学受験で浪人した高田は、勉強法を追求するなかで「寝ないと力を発揮できない」と感じた。社員にもきちんと休むよう、業務時間外は会社のパソコンに触れなくて済むような仕組みづくりをする。徒歩圏に住む社員への手当などは、通勤などに余計な時間を割いてもらいたくないからだ。

アットホームでありながら、ストイックに仕事ができる環境。高田が目指す哲学を実現するため、新拠点づくりに奔走してきたのが長崎出身の資産戦略部シニアリーダー、米田哲郎だ。

ジャパネットHDの米田は福岡のオフィスづくりで同社の働き方を具現化した
ジャパネットHDの米田は福岡のオフィスづくりで同社の働き方を具現化した

米田はもともと、「地元企業に就職するつもり」で同社に入社し、会社の成長とともに東京で生活の足場を築いてきた。東京で生まれ育った子どもや家族を思うと、地元に近づくとはいえ、「ためらいもあった」と話す。

それでもいち早く福岡に移り、拠点整備や新規事業などを手掛けている。妻の協力も得て子どもを保育園に入れるため保護者が行う活動などに励み、準備が整えば、来春には家族がそろう。

「原則全員出社」に戻す

米田は、新オフィスのレイアウトを8人のチームが一つの単位として活動することを前提に設計した。感染症対策で他のチームとは距離をとりつつ、L字型の机を組み合わせたブースなどを配置。作業中は外側を向いて集中し、相談や雑談がしたいときは内側を向いて顔を突き合わせる。

L字型の机を組み合わせ、8人ずつで作業する(写真左側、ジャパネットHD提供)
L字型の机を組み合わせ、8人ずつで作業する(写真左側、ジャパネットHD提供)

新拠点の一角には、芝生状の小山に寝そべることもできる休憩スペースを設けた。同社が長崎で手掛けるサッカー事業などを念頭に、休日に社員や家族が集まって観戦したり交流したりできるようにした。

高田は「雑談や部署内外の交流で生まれるアイデアも大事」と考える。そのため、首都圏で続いた緊急事態宣言が解除され、同社は「原則全員出社」に戻した。育児や介護などの事情で在宅勤務を希望する人にも「時短を利用して基本は出社をお願いしている」(高田)という。

多様な働き方が広がる中…

福岡のオフィスづくりもこうした考え方に沿い、社内文化を自然と感じられる仕掛けを目指した。しかし、在宅勤務など一度定着したニューノーマルの働き方を元に戻すのは容易ではない。必要に応じて、一人一人面談を進めて理解を得ようとしているが、「原則全員出社」の考えにまだ納得できていない人もいるという。

東京や長崎から数十人が福岡に転勤した一方、「今の場所で同じ仕事をやりたい」と条件が合わずに会社を去った人も数人いた。

高田は「オフィスに来たくなる環境づくりこそ、生産性に直結する」と確信する。東京か地方か。出社か在宅か。多様な働き方が当たり前になったいま、社員の考え方や生活と、経営者の目指す方向を一致させる苦労も見えてきた。

=敬称略

(猪俣里美)

[日経電子版 2021年10月27日 掲載]

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