飛べないCA、コロナ下でも磨くスキル 空と陸を2往復

コールセンター業務に取り組む除村保乃香さん(東京都豊島区)
コールセンター業務に取り組む除村保乃香さん(東京都豊島区)

東京都豊島区のビルにあるコールセンター事務所。午前9時、始業とともに固定電話が一斉に鳴り出す。「お電話ありがとうございます」「さようでございますか。そうしましたら……」。ヘッドホンに小型マイクを身につけ、丁寧な応対で次々と電話をさばいていくのは航空会社の客室乗務員(CA)だ。

除村(よけむら)保乃香さん(29)は日本航空に入って7年目になる。入社以来、職場は機上だったのに、新型コロナウイルスは当たり前の日常を突然奪い去った。飛行機が旅客を運ぶという仕事が世界中で蒸発、除村さんも乗務機会の大半を失った。

毎日の仕事は在宅での語学勉強や研修に変わった。「またすぐにフライトができる」と信じて自己研さんに励んだものの、2020年末になっても乗務の回数は通常の半分程度で、たまに飛ぶ日も乗客はごくわずかだった。「ずっと接客をやりがいに働いてきたのに」。さみしさをこらえられなかった。

「このままで自分の成長につながるのだろうか」ともどかしさが募り、同僚と「私たちに今できることは何だろう」と語り合う機会も増えた。

そんなときに社内サイトで見つけたのが、コールセンター会社への短期出向者の募集だった。まったく違う仕事に戸惑う気持ちもあったが、除村さんは「何か自分のためになるかも」と迷わず手を上げた。

21年の年明けに出向すると、状況は想像以上に厳しかった。メインの業務は病院関連などの電話アンケート調査の窓口。通話は全くなじみのない医療用語で満ちていた。業務も社風も、右も左も分からなかった。

特に苦しんだのは、顔を合わせない声だけのやりとりだ。客室乗務では乗客の表情や細かなしぐさが大きなヒントになる。寒そうならタオルケットを手渡し、困っている雰囲気があれば声をかけてみる。

電話の応対ではそうしたスキルは通用しない。相手が困っていても、何が分からないのかが分からない。さらには、ちょっとしたニュアンスひとつで相手に誤解を与える恐れもある。「私のせいで混乱させてしまうと申し訳ない気持ちになる」と落ち込んだ。

1カ月間の出向を終え、日航に戻ったが、客室乗務につけない日は依然多く、何をすべきか惑う日々は続いた。

すると再びコールセンターへの出向の募集がかかった。「まだ学べることがあるはずだ」。除村さんは再び陸の職場に舞い戻った。

コールセンターでマイクを装着する除村さん(東京都豊島区)
コールセンターでマイクを装着する除村さん(東京都豊島区)

今度は電話を1本終えるごとに、相手の質問に的確に答えられたかを振り返った。細かい言葉遣いを聞き逃さず、言いたいことを引き出しやすい尋ね方も試行錯誤した。他の職員の電話に耳をそばだて「すごくやわらかい表現だな」「こういう言い方をすれば伝わるんだ」と、プロの技術をまねた。

だんだん、見えなくとも電話越しの相手の状況が目の前に浮かぶようになった。人によってテンポ感や温度感が違い、ゆっくり説明をしてほしいのか、急いでいるのかがわかった。意識は電話相手の背景音にまで伸びた。「ざわざわしているところは忙しい現場。シンプルな応対の方が喜ばれる」

思えばミュージカルサークルに所属していた学生時代、自らの演劇で観客が笑顔になるのが好きで、「接客でお客様の笑顔をみたい」と選んだのが客室乗務員の仕事だった。相手の顔が見えなくても「疑問点を解消して明るい声を聞けた時がうれしい。やりがいは客室乗務と同じ」と気づいた。

3カ月の出向を終え、客室乗務に戻った8月は繁忙期でもあり、出向前よりフライトは増えていた。コールセンターでの経験が、乗客の背後にある事情への想像力につながっている実感がある。

緊急事態宣言が解除されても、利用客がいつどこまで戻るのかは分からない。それでも必ずまた、満席のフライトでサービスができる日が来る。そう信じ、これからもスキルを磨き続ける。

文 中村信平

写真 藤井凱

コロナ下で「在籍型出向」増える

除村さんの出向先はコールセンター会社のテレコメディア(東京・豊島)。コロナ拡大で日本航空は8月末時点で客室乗務員約400人を出向させている。

出向元と雇用関係を維持しながら別の企業で働くこうした「在籍型出向」は増えている。経営難に陥っても社員の解雇を避け、人手不足の業種などで働いてもらうのが狙いだ。

公益財団法人「産業雇用安定センター」が在籍型出向を仲介した人数は2020年度に3061人で、前年度比約2.5倍となった。21年度は7月までで2386人とさらにハイペースだ。感染拡大以降、運輸や旅行、サービス業などからの出向が増えたという。

厚生労働省は21年2月、在籍型出向に対する補助金を新設。関連経費について1日計1万2千円を上限に最大90%支給する。

[日経電子版 2021年10月03日 掲載]

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