
大手企業に勤務している人たちから「スタートアップ企業への転職」について相談を受けることが増えてきました。今すぐの転職だけでなく、「いずれどこかのタイミングでスタートアップ企業に移りたい。いつがいいか、どのような企業を選べばいいか」と、先を見据えご相談もよく受けます。その背景・理由として、次のようなものが挙げられます。
・スタートアップで働く同世代の「成長」を見て危機感を抱く
近年はSNS(交流サイト)を通じて、学生時代の友人や同世代の人たちの活動を知ることができます。そして、スタートアップ企業で活躍する同世代の発信に触発され、自身のキャリアを見つめ直す人が増えています。
例えば、大手企業に勤務する20代~30代前半の人たちから、こんな声をよく聞きます。
「大学時代の友人がスタートアップの経営に携わっているが、話す内容を聞いていると、自分よりずっと視座が高い。事業立ち上げの苦労も経験し、すごく成長していると感じる。一方、自分は昨年と代わり映えがしない仕事をしていて、成長が停滞しているような気がする。成長機会を得るために副業をしたくても、会社から制限されている」
「今の会社では上が詰まっているので、マネジャーに昇進して裁量権を得るにはあと10年はかかりそう。このままでは後れを取ってしまうのではないか」
「今の会社の上司や先輩を見ていても、『自分もこうなりたい』という憧れを感じない」
「今の会社で50代、60代を迎えても、雇用が確保される保証はない。大手企業といえども、体力が落ちていき、退職金や福利厚生にも期待は持てない。大手の魅力だった『安泰』はもうない」
このような意識を持つ人は近年増えてきていましたが、新型コロナウイルス禍以降、自宅で1人、テレワークをする中で、より危機感を募らせた人が多いようです。
「人生100年時代」といわれる中で、大手企業の終身雇用は崩れつつあります。「生涯、1社だけでキャリアが完結する時代ではない」と、皆さん、理解しています。どこかのタイミングで転職が必要と考え、それ以降のキャリアをよりよく築いていくための選択肢として、有望なスタートアップを探しているのです。
スタートアップ企業を取り巻く環境が魅力的に
・スタートアップ企業にチャンスが訪れている
近年、スタートアップ企業への資金流入が拡大しています。調達した資金を活用することによって、スタートアップ企業は事業を成長させられる可能性が高まっています。実際、新たなテクノロジーやビジネスモデルの導入によって、業界地図を塗り替えたスタートアップ企業は少なくありません。
また、潤沢な資金を得れば、人材に投資しやすくなるので、メンバーの募集も積極的に行っています。こうしたスタートアップ界隈(かいわい)の活況ぶりを知った方々は「チャンスがあるのに、みすみす逃していいものか」と、転職活動に踏み出しているのです。
・スタートアップの「倒産リスク」が低くなっている
「スタートアップ企業は倒産するリスクが高い」――。これが、大手企業の「安定」を捨ててスタートアップに飛び込む決断ができない理由の一つでした。
しかし、昨今のスタートアップ企業は以前と比べて倒産リスクが低くなっています。
インターネットやデジタル技術などを活用することで、設備投資は少なくて済み、在庫を持たずにビジネス展開が可能。だから、資金繰りが悪化しても、即倒産にはつながりにくいのです。
実際、最初はうまくいかなくても、ビジネスモデルやマネタイズモデルをピボットさせ、2~3度の転換を経て成功している企業は少なくありません。
スタートアップ企業が大手企業出身者に抱く期待と不安
では、スタートアップ企業側は大手企業出身者を受け入れることに対し、どのように考えているのでしょうか。まずは期待しているポイントをみていきましょう。
顧客ターゲットを「大手企業」とするスタートアップ、あるいは大手企業と提携して事業を行うスタートアップなどは、自社内に「大手企業の論理」を知っているメンバーを抱えておきたいと考えます。
つまり、大手企業の組織内でどのようにキーパーソンを見極めるのか、大手企業にプレゼンテーションや交渉を持ちかける際、どの「スイッチ」を押せば、決裁につながりやすいのか、といったことを理解している人を求めているのです。つまり、その組織に身を置いていた大手企業出身者です。
また、大手企業だからこそ築けた人脈・ネットワークやビジネスアライアンスの上でのパイプ、また大手企業と組んでのオープンイノベーションのきっかけづくりといった点でも、期待を寄せられます。
若手の場合は、「ビジネスパーソンとしての基本の教育を受けている」という点で、自社では研修・教育する余裕がないスタートアップにとっては安心感があります。
一方、不安を抱くのは、やはり「環境変化への適応力」です。大手とスタートアップでは、当然ながらスピード感も異なりますし、自分の担当領域だけこなしていればいいわけではなく、幅広い業務を臨機応変に担っていく必要があります。野球のピッチャーでいえば、先発だけでなく中継ぎや抑え、時にはバッターとしても期待されます。
それに、スタートアップは常に「明日、何が起こるかわからない状況」にさらされています。自分たちが取り組んでいる領域へ大手企業が進出してきて、資金力を武器に市場を独占してしまうかもしれません。最新テクノロジーを活用したサービスを開発している途中で、さらに新しいテクノロジーが生まれ、自社が持つ価値が失われることもあり得ます。そのような不可抗力による試練に直面したとしても、すばやく発想を切り替え、前へ進んでいけるポジティブさが必要です。
そして何より、「大手企業の看板をはずすことへの覚悟」と「大手の看板を失っても勝負できる経験・スキル」が選考で見られています。
このように、急激な変化への対応力が重視されるので、35歳以上で大手企業1社しか経験がない方は、不安を抱かれがちです。
とはいえ、そうした人でも「スタートアップ企業で副業していた」「友人のスタートアップ企業を手伝っていた」「大手企業内で、子会社の立ち上げなどを経験した」「海外赴任先でゼロから取引先を開拓した」「M&A先のスタートアップ企業と関わっていた」などの経験があれば、不安は払しょくされます。
大手1社での経験が長く、スタートアップへの転職を目指す場合は、上記のような経験を積極的に積んでおくことで、スタートアップへの門戸が広がる可能性があります。
スタートアップへの転職を成功させるためのポイント
スタートアップ企業への転職を成功させるために必要なこと。それは、自分の経験・志向が生かせる「成長ステージ」を見極めることです。
一口に「スタートアップ」と言っても、創業から間もないスタートアップもあれば、本業が軌道に乗り拡大や多角化フェーズに入った企業、新規株式公開(IPO)間近の企業、IPOを果たしさらなる成長フェーズへ進む企業など、成長ステージが異なります。ステージによって求められる経験・スキル、志向タイプが異なるので、自分にマッチするステージの企業を選ぶことが大切です。
なお、草創期のスタートアップの場合、以前は「何もない状態から、すべて自分の手足を動かしてやらなければならない」ことが当たり前でしたが、最近は少し変わってきています。最初からデジタルツールなどを駆使し、効率的に物事を進める意識を持ったスタートアップが多く見られるようになりました。その分、デジタル技術へのリテラシーを持っている人材が重宝される傾向があります。
大手からスタートアップを目指す人の支援プログラムも登場
「スタートアップへの転職を考えているが、いきなり飛び込むには抵抗感がある」という人は、まずは副業から関わってみることをお勧めします。企業によっては、「スタートアップ留学」などの制度を設け、スタートアップに一定期間出向したり、本業とスタートアップの仕事を兼務したりするような仕組みも活用されています。
また、スタートアップを志す人を支援するプログラムも登場しています。日本最大のスタートアップキャピタルであるジャフコグループは今年、「キャリアアカデミー」を開講しました。スタートアップに挑戦する人を増やすことによって、日本のスタートアップマーケットの拡大を目的とした人材支援プログラムです。
このプログラムを利用することで、「スタートアップで働くとはどういうことか」を認知し、自身の適性から判断して、どんな企業がマッチするか、今後どうキャリアを積んでいくか、などの道筋をつけることができます。スタートアップでの副業など、スタートアップ勤務の疑似体験の支援も受けられます。
こうしたプログラムも活用し、自分にとってスタートアップ企業という選択が適切なのかどうかを見極めてはいかがでしょうか。

森本千賀子
morich代表取締役兼All Rounder Agent。リクルートグループで25年近くにわたりエグゼクティブ層中心の転職エージェントとして活躍。2012年、NHK「プロフェッショナル~仕事の流儀~」に出演。最新刊「マンガでわかる 成功する転職」(池田書店)、「トップコンサルタントが教える 無敵の転職」(新星出版社)ほか、著書多数。
[NIKKEI STYLE キャリア 2021年08月20日 掲載]