企業の経営トップと従業員の報酬格差が開いている。株価の上昇で株式型報酬が膨らむ一方、従業員の報酬は伸び悩んでいるためで、米国企業では最大で5294倍だった。一方、日本企業の最大は174倍だった。格差の広がりは社会の分断につながる。是正に向け企業との対話を始める投資家も出始めた。
最大は5294倍――。米企業の経営トップが従業員の給与の中央値より何倍多い報酬を受け取っているかを示す「ペイ・レシオ」は、米国が作る格差がいかに大きいかを映す。
米国最大の労働団体、労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)によれば、S&P500種株価指数の構成銘柄でペイ・レシオが最も大きかったのは、自動車部品大手のアプティブ。同社は5294倍にも及ぶ給与格差について「最高経営責任者(CEO)の株式報酬に関する会計上の処理が必要になり、実際の報酬額より値が大きくなっている」と説明する。だがこの調整がなくても、格差は2000倍を超える。

ペイ・レシオは、米オバマ政権下で制定された金融規制法「ドッド・フランク法」で開示が義務付けられた。制定当初はウォール街の高額報酬をけん制する狙いだったが、18年から開示が始まると個社や業種間での違いも明るみに出た。
報酬の7割が株式
格差の要因はCEOの報酬のしくみと、企業の業態によって説明できる。
まず、米企業はCEOの報酬の多くを株式で支払う。報酬コンサルティングのウイリス・タワーズワトソンによれば、売上高1兆円以上の米主要企業(中央値)では、CEOは報酬の74%を株式を中心とする「長期インセンティブ」で受け取る。この比率は欧州各国では4~5割、日本では27%にすぎない。
例えばゲーム開発のアクティビジョン・ブリザードのCEOは、2017~20年の業績連動報酬を前期にまとめて受け取った。報酬総額は前の期の5倍に跳ね上がり、ペイ・レシオは319倍から1560倍に高まった。
サービス業など、企業の業態が労働集約的な場合にも、従業員の給与水準が低くなることでペイ・レシオを押し上げやすい。上位に目立つのはコロナ禍で打撃を受けた業種だ。
クルーズ事業を手掛けるロイヤル・カリビアンは、20年12月期の最終損益が6000億円あまりの赤字に転落。従業員の給与の中央値は前期比でほぼ半分の95万円に低下した。だがCEOの報酬は16%しか減らず、ペイ・レシオは前期の830倍から約1400倍に拡大した。
海外の従業員が多い場合もレシオの値は大きくなりやすい。冒頭のアプティブでも多くの従業員が米国外で勤務する。米国企業の統計はグローバルな給与格差も反映しているといえる。
報酬格差は米企業全体で拡大している。米国のシンクタンク、経済政策研究所(EPI)が過去の統計を遡って調べたところ、1965年には21倍だった米企業のペイ・レシオは、2019年には307倍、20年には351倍まで拡大した。CEOの報酬は従業員の給与をはるかに超えるペースで膨らむ。
CEO報酬、他社と比べ上昇連鎖
背景についてEPIは「CEOの経営スキルの高まり以上に報酬が増えている。相場全体の上昇が給与差の拡大につながっている」と主張する。より冷静な見方として「優秀な経営者を引きつけたい企業が、米証券取引委員会(SEC)の規制によって開示された他社の水準を参考にしてトップの報酬を連鎖的に引き上げていったことが一因」(ウイリス・タワーズワトソンの櫛笥隆亮シニアディレクター)との指摘もある。

ペイ・レシオの開示方法には課題もある。SECは企業が従業員の給与の中央値を特定するにあたり、サンプルによる把握を認めている。特定の従業員を集計の対象から除外したり、給与の中央値を数年にわたり変更しなかったりすることも可能だ。「恣意的で、時に意味のない数値」(米経営者団体ビジネス・ラウンドテーブルの代表、ジョシュア・ボルテン氏)といった批判も出て法律の制定から実際の開示までに時間を要した。
だが雇用や貧富、人種などの側面で、コロナ禍は米社会の格差を浮き彫りにした。カネ余りによる株高でペイ・レシオが拡大したのも事実だ。従業員をはるかに上回る報酬を、合理的な理由なく経営陣が受け取ることに厳しい目を注ぐ投資家も出始めた。
米ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズは昨年、役員への高額報酬による風評を懸念し、米ウォルト・ディズニーの報酬議案に反対した。同社のアセット・スチュワードシップグローバル共同責任者、ベンジャミン・コルトン氏は、報酬体系を業績に連動させることが最重要だとしつつ「他の側面に与える影響にも気を配るべきだ」と指摘する。
日本は「1億円プレーヤー」でも20~30倍
では、日本企業のペイ・レシオはどうなっているのか。日経NEEDSのデータを基に、トップの報酬が1億円を超える企業を対象に、日経ヴェリタスがトップの報酬と従業員の平均年間給与を比較して日本版のペイ・レシオを調べたところ、過去10年でほぼ横ばいであることが分かった。
2011年度まで遡り、各年度の最大・平均・中央値・最小を調べてグラフ化した。最大の企業でも、ペイ・レシオは100~300倍程度だった。計算方法が米国とは同じ基準ではないとはいえ、米国の平均的な水準とは大きな乖離があることがわかる。

最高は武田の174倍
20年度で最高だった武田薬品工業(4502)は、14年に英製薬大手グラクソ・スミスクラインからクリストフ・ウェバー社長を招いた。外国人の経営陣を受け入れるなかで株式報酬をとりいれ、20年度のペイ・レシオは174倍。ただ、S&P500種株価指数の構成銘柄で最大のアプティブと比べれば格差は30分の1に過ぎないともいえる。過去10年で最大なのは14年度のSANKYO(6417)だが、それでも299倍だ。

各年度でペイ・レシオが最小の企業には、社員の平均給与が高いことで知られる企業が並ぶ。16~18年度の社員の平均年収が2000万円前後だったキーエンスは、差は5~7倍にとどまり最小だった。
米企業で300倍に達する平均的なペイ・レシオも日本企業では20~30倍程度だ。日本でも日経平均株価がこの10年で3倍になるなど株高が進んだが、株式報酬の少なさもあり給与格差の拡大にはほとんどつながらなかった。
トップと従業員の給与格差が広がりすぎた米国だけでなく、差が小さい日本についても弊害が指摘される。
企業統治に詳しいHRガバナンス・リーダーズの内ケ崎茂社長は「株主などのステークホルダー(利害関係者)と目線をそろえるため、株式の形での役員報酬を増やすべきだ」とみる。上場企業である以上、経営トップは企業価値の向上を通じて株価の上昇に報いるべきとの声は多い。
スキルより「イス」への報酬?
日本企業では従業員が昇進を重ねて経営者になるのが一般的で、役員報酬に占める固定給が多く、給与格差の小ささにつながってきた。ウイリス・タワーズワトソンの櫛笥隆亮シニアディレクターは「経営者に就任する人のスキルや経験というより、役員の『イス』に対して支払う意識がいまだ強い」とみる。
昨今の企業統治改革のなか、ESG(環境・社会・企業統治)など経営トップが取り組むべき業務範囲も広がっている。報酬増を通じて海外も含めた優秀な経営者人材を確保することが重要との意見も増えている。
格差許容どこまで
この先の課題は報酬体系の透明性を高めることと、従業員との格差がどこまで許容されるかになる。
18年に発覚した日産自動車元会長カルロス・ゴーン被告の報酬過少記載を巡る裁判では、被告が報酬の透明性を嫌ったという証言が出ている。日本取締役協会によれば、経営トップの指名や役員報酬を決定する「指名・報酬委員会」を設けていると回答した東証1部の企業は65.8%。5年前比で40ポイント高まったが、なお3割程度の企業が設けていない。
もともと格差が小さいところからトップの報酬を引き上げていく過程では、従業員の抵抗感が生じるおそれもある。HRガバナンスの内ケ崎社長は、「一部の米企業ほどの給与格差は異常だという感覚は国内で共有できるのではないか」としつつ「バブル崩壊以降低位安定してきた従業員報酬を引き上げると同時に、経営トップとして備えるべき要件やミッションなどを明確にし、グローバル企業の場合100倍程度までの格差を受け入れる社会の意識を醸成することもカギとなる」とみていた。
過度に高いペイ・レシオ 社会的結束を妨げる恐れ
仏アムンディ チーフ・レスポンシブル・インベストメント・オフィサー、エロディー・ローゲル氏
仏アムンディは昨年から、ペイ・レシオが1000倍を大きく超え、かつ従業員の給与が低い米企業との対話を進めている。同社のチーフ・レスポンシブル・インベストメント・オフィサーのエロディー・ローゲル氏は「とりわけ従業員の給与水準が低く、不平等を悪化させる場合、公正なペイ・レシオについて考えることが重要だ」と指摘した。主なやりとりは以下の通り。
――なぜペイ・レシオが過度に高くなると問題なのでしょうか。
「企業内での付加価値の分配が経営陣に偏りすぎていることを示すシグナルかもしれないからだ。当社では長期的な経済の安定に重要だとみて『社会的結束(経済的格差の是正のための措置をとること)』を企業との対話の主要テーマとしている。分配の偏りが社会的結束を妨げるものにならないか、警戒する必要がある」
「18年から主に欧州で、一定レベルの生活を送るための賃金を正規雇用の従業員に与えるよう企業に求めてきた。ペイ・レシオへの取り組みはこの流れを強化するものだ。米国では従業員の福利に関する規制が欧州より弱いため『社会的結束』をテーマに企業と対話する機会が多い」
――米企業のペイ・レシオに対する考え方をどう見ますか。
「米企業は経営トップの高額報酬について、優秀な人材を呼び込める可能性があり、報酬パッケージのレベルと業績を関連づけられるとして正当化する。だが、こうした考え方は学術研究では証明されていないし、経営陣がグローバルな従業員の働きぶりに依存しているという事実を無視している」
「たとえば、米企業591社を対象とした研究では、2009~14年の間、ペイ・レシオが高いほど利益率は低くなった。時価総額が大きい429社を対象とした別の研究でも、2005~15年の期間について同じような傾向が出た」
――現在のところ、米企業との対話の進み具合はどうですか。
「ペイ・レシオに関する当社の考え方を伝えるため、15社にレターを送付した。4社から反応があり、このうち2社は直接の対話にも応じてくれた。まだ投資家の知名度が低いテーマのため、対話の成功度合いを判断するにはなお時間が必要だ」
「経営トップの報酬は合理的かつ経済的にも正当化できるのと同時に、社会的にも受け入れられるものである必要がある。当社は各国企業のCEOの報酬プランに反対票を投じており、理由のなかにはペイ・レシオの水準も含まれる」
坂部能生が担当した。
[日経ヴェリタス2021年9月19日号]
[日経電子版 2021年09月22日 掲載]