全国の大学が人工知能(AI)の「読み・書き・そろばん」にあたる基礎知識を教える「リテラシー講座」をこぞって開講している。政府が2019年に定めた「AI戦略」で人材育成を打ち出したのを受け、デジタル社会の担い手の裾野を広げるのが狙いだ。AIは生活を便利にする半面、プライバシーや人権の侵害など負の側面への懸念も強まっている。「両刃(もろは)の剣」を使いこなせる人材は育つのか。講義を聴いてみると、課題も感じた。

「AI時代に必須の知識」
放送大学がインターネットとBSで4月に開講した「数理・データサイエンス・AI講座」。政府が示すモデルカリキュラムに準拠し、全国の大学や高等専門学校が教材として活用できるように制作した。「導入」や「基礎」など計5講座からなり、各講座は45分~1時間の授業8回で構成。有料(放送大学生は1講座800円、他の大学や一般は同8000円)で、誰でも受講できる。
入門にあたる「導入A」はAIの応用の具体例を紹介しながら授業が進む。例えば本人確認などで普及してきた「顔認識」は2時限目に登場。担当教授が「顔全体を調べると計算量が膨大になるので、目や口、鼻の特徴を少ない計算量で調べて認識する」などと解説する。これらを組み合わせ、さらに精度を高める「アダプティブ・ブースティング」など専門用語の解説も続く。
動画が終わると確認テストだ。「顔認識のように限定された処理だけ行うAIを何と呼ぶか?」と出題され、「弱いAI」の選択肢を選ぶと「正解」と表示された。各回のまとめでは、中谷多哉子・放送大教授が分野ごとの担当教授と対談し、ポイントをわかりやすく復習するコーナーもある。
これに似た講義を全国の大学が対面やオンラインで導入している。けん引役は、AI専門の教育研究センターをもつ北海道大、東京大、滋賀大などの6国立大学だ。これらが連携して「数理・データサイエンス教育強化拠点コンソーシアム」を創設し、大学生らが学ぶべき知識を体系化してモデルカリキュラムをつくった。
文部科学省は、これを踏まえて全学的な教育を実施している大学を認定する制度を設け、8月初旬までに大学・高専計78校を認定した。多くは「数理・データサイエンス」「統計入門」「情報処理」などの科目名で授業を実施し、1~2年生向けの必修科目としている大学が多い。
同省はとりわけ特色のある授業に「プラス」認定を与え、千葉大、筑波大、金沢工業大など11の大学・高専を選んだ。千葉大では「データサイエンス教育実施本部」を設け教員50人体制で専門教育に携わり、学生が「数理・データサイエンス」を副専攻に選べるようにするなど、全学を挙げてAI教育を強めている。
大学がAI教育を拡充する契機になったのは、政府がAI戦略の柱に人材育成を据えたことだ。

深層学習など最先端のAI研究はこの10年ほどで急進展したが、日本は米欧や中国などから大きく遅れた。政府は危機感から、AIをいつでも活用できる「AI-Readyな社会」を戦略の目標に掲げ、人材育成の数値目標を打ち出した。
まず、文理を問わずすべての大学・高専で新入生全員にあたる年約50万人に初級レベルの知識を教える。その半分の年約25万人は専門的な活用も見据え「応用基礎力」を習得してもらう。こうした教育で人材の裾野を広げ、エキスパートとして世界で活躍できる人材を年2000人程度育てるとした。最初に始めたのがリテラシー教育の拡充だ。
技術解説は工夫も、倫理面など不足
リテラシー講座はAIへの興味や関心を高めることが狙いだけに、さまざまな工夫を凝らしている。
例えば放送大の講義では、マーケティングやスポーツ、医療などでデータ科学を積極的に活用している企業や、音声合成やセキュリティーなどの技術開発に取り組む第一線の研究者が登場し、ビジネスの最前線や研究の将来展望を紹介している。米グーグル出身でトヨタ自動車に移籍して自動運転の開発を指揮するジェームス・カフナー氏ら著名研究者もインタビューで登場し、初学者でなくても見応えがある。
金沢工大もAIの専門企業と組んで教材を開発、実践的な課題を発見して解決力を養う「プロジェクトデザイン教育」に力を入れる。ほかにも企業と組んで魅力ある教材の開発に取り組む大学は多い。
一方で、授業内容が技術的な知識の伝授に偏り、倫理や社会的な問題など負の側面を踏み込んで教える授業はまだ少ない。
例えばAIと人種・ジェンダー差別をめぐっては、20年に米国で起きた黒人男性の暴行致死事件をきっかけに警察による顔認識技術の不適切な利用が指摘され、米IBMなどが開発や販売の中断を表明した。米アマゾン・ドット・コムが人事採用で使ったAIが女性を不利に評価し、使用をやめる問題も起きた。格差や不平等を広げるとの懸念もある。これらを念頭に欧州連合(EU)などはAIの利用をめぐり厳しい規制案を検討している。

モデルカリキュラムでも「心得」という区分を設け、差別やプライバシー侵害、自動運転車が事故を起こしたら責任は誰にあるかなど、倫理・法的問題を教えることを求めている。しかし、一般論的な知識の解説にとどまり、具体例に踏み込んだり、幅広い視点で学生に考えてもらったりする授業はまだ少ない。オンラインのグループ討論を計画している大学もあるが、こうした例は限られる。
次の学びにどうつなげるか
興味をもった学生に「次の学び」にどう結びつけてもらうかも課題だ。基礎的な知識を学んだら次に「機械学習」「自然言語処理」「情報理論」などの専門科目に進むのが望まれるが、一部の総合大学を除けば専門教員がいない大学も多い。拠点校の授業をオンラインで他大学からも受講できるようにしたり、単位の互換を認めたりするなど、制度面の工夫が要る。
AIの開発や応用に直接関わらない仕事に進む学生にとっては「人の仕事が機械に奪われるのでは」といった脅威論はなお強い。「両刃の剣」としてのAIの知識を広く、深く身につけ、社会全体でいかに上手に活用していくか。放送大の加藤浩教授は「大学での基礎教育講座を発展させ、中等教育やリカレント教育(社会人の学び直し)も体系的に拡充していく必要がある」と話す。政府の人材育成目標やコンソーシアムのモデルカリキュラムもこの視点をもっと取り込み、見直す必要があるだろう。
[日経電子版 2021年09月01日 掲載]