
プロ野球やサッカーJリーグといった華やかな舞台で活躍するスポーツ選手はほんの一握りだ。努力を重ねてきても大半のアスリートはいつかは引退し「第二の人生」を意識せざるを得ない。途方に暮れるケースが多い中、自分に向いている職業を見つけ動き出した元選手もいる。アスリートのセカンドキャリアに最適解はあるのか。就活探偵団が実態に迫った。
「野球と同じくらい、今では人工知能(AI)に魅力を感じている」。こう話すのは元プロ野球選手で、現在はIT(情報技術)エンジニアとして働く山崎貴之さん(25)だ。プロ野球独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレーしたが、2019年に肩のケガが原因で現役を引退した。
セ・リーグやパ・リーグの球団入りを目指していたが「手術して元の状態に戻るには2~3年かかると言われ、年齢的に限界だと感じた」。引退後の生活については「何も考えていなかった」という。まずチームのスポンサーの人材派遣会社に就職し総合職として働いたが、野球ほどのやりがいは感じられなかった。
「自分を奮い立たせるにはもっと厳しい環境に身を置きたい」。転職を決意し、ビジネス書など200冊ほど読み込んで様々な業界を研究した。その中で強く引かれたのがIT業界だった。
複数の会社の選考を受け、最終的に選んだのはアーシャルデザイン(東京・渋谷)だ。スポーツ選手をエンジニアとして育てIT企業に送る事業を手掛けており、自分に一番向いていると思った。
パソコンの電源で挫折
エンジニアの仕事は初日からつまずいた。「パソコンの電源を入れるのにも30分かかり、人生で最も大きな挫折を感じた」と振り返る。何事も一筋縄ではいかないことはアスリートとして経験済み。一つ一つ課題に向き合い解決していった。
研修でプログラミング言語やアプリ開発を学び、その後は外部の企業での実習も経験した。今では目標とするAIエンジニアに向けて研さんを積んでいる。「競技と同じくらい、熱中できることがようやく見つかった」
アーシャルデザインは選手を同社のスタッフとして雇用し、研修を受けさせた後に外部のIT企業に送る事業を手掛ける。単に就職先を紹介するだけでなく、就職後の仕事で必要な研修も合わせて提供するのが同社の特徴だ。
同社がサービスの登録者に行動特性をはかる適性検査を実施したところ、親和性のある職種として営業職に次ぐ2位に挙がったのがITエンジニアだったという。
ITエンジニアは設計書通りに、納期に合わせ自分のポジションの仕事をやり切る。「スポーツも自分のポジションや役割の中でプロフェッショナリズムを発揮し、相乗効果を発揮してチームが勝つことを目指す」(アーシャルデザインの小園翔太社長)。カテゴリーこそ違うが、アスリートもエンジニアも目指すべきことは一緒なのだ。
経済産業省の調べでは、ITエンジニアは2020年時点で30万人ほど不足。必要な知識を身につければ、スポーツ選手が活躍する余地は大きい。これまで約7200人の選手から応募があり、現在は約90人が研修に参加している。
選手を受け入れたIT企業からは「コミュニケーション能力の高さは他のエンジニアと比較にならない」と高評価を得ている。小園社長は「天才級のエンジニアではなく、従業員をまとめるプロジェクトリーダーに成長することを期待している企業が多いようだ」と話す。
新卒学生がスポーツを武器に就職活動ができる環境も整ってきた。

専門学校の硬式野球部に所属する高田悠希さん(20)は学校のコーチから紹介を受けたことがきっかけで野球選手に特化した求人サイト「野求人」に登録した。
20年に部内で新型コロナウイルスの集団感染が発生。部の活動は休止となり、不完全燃焼のまま現役引退となった。「引退後は消防士になろうと思っていたが、まだ野球をやりたいという気持ちが強くなった」
そこで地元の愛知県で就職後も野球を続けられる企業を探したところ、国内でも強豪の軟式野球部を持つ石油商社の内定を獲得。春からはガソリンスタンドで働きながら野球を続ける予定だ。
野求人を運営するベースボールワン(名古屋市)によると同サイトには愛知県を中心に700~800人の選手が登録している。野球経験者を採用したいという企業の求人情報のみを紹介するため、マッチングも成立しやすい。営業職として知名度のある人材を採用したいという企業にはプロ野球選手や甲子園の出場経験者を紹介。管理職候補を採用したいという企業には監督やコーチの経験者を紹介する。
プロ野球選手になれる確率は0.03%とも言われる。「就職する時に野球をしてきたことが不利になるのは良くない。引退後の選手の受け皿を準備することが野球界の底上げにもつながる」(ベースボールワン)
二足のわらじも

アスリートとビジネスパーソンの二足のわらじを履く人も。米国出身のマシュー・ナトルさん(25)は、独立系金融アドバイザー、ジャパンアセットマネジメント(JAM、東京・千代田)のリサーチアナリストと、プロアイスホッケーチーム「横浜グリッツ」に所属する選手を両立する。毎日午前は練習、午後から夜にかけて仕事というハードな日々を過ごす。
もともと米国でプロ選手をしていたが、将来を見据え仕事と選手を両立したいと考え、20年10月に来日し横浜グリッツに入団した。「ホッケーはいずれ30歳くらいになれば引退する時が来る。ビジネスパーソンとしてのキャリアを考えてこの道を選んだ」。現在は家庭の事情で一時帰国しているが、ビジネススキルも蓄積し将来起業するのが夢だ。

アスリートのビジネスでの活躍に企業の期待も高まる。日本オリンピック委員会(JOC)の調査で、企業がアスリートの採用決定に至った理由を聞いたところ、上位には「人柄」「組織の一体感醸成」「社員の士気高揚」が上がった。
一つのことをやりきって自分の強みも弱みも把握できているアスリートには、ビジネスでも活躍できる潜在力がある。引退後にスムーズに転身できる環境整備が重要だ。
(企業報道部 木村祐太、鈴木洋介)
[日経電子版 2021年03月10日 掲載]