個人で賃上げ交渉は当たり前 ジョブ型が迫る新常識

ポストコロナの働き方についてリクルートワークス研究所主任研究員の中村天江さんが解説します。

■個人の賃上げ要望、日本3割 海外7割

経済協力開発機構(OECD)のデータによると、日本の平均賃金は2019年、主要先進7カ国のなかで最下位でした。時間的な視点では、他国の平均賃金が長期的には増加しているなかで、日本だけは横ばいのままという点に特徴があります。例えば08年から17年にかけて平均賃金は、アメリカやフランスでは1割弱増加、中国にいたっては2倍に高騰していますが、日本はほぼ変わっていません(国際労働機関「世界賃金報告2018/2019」より)。

日本の平均賃金が長期にわたって低迷している要因は、デフレやグローバル化の影響など様々ですが、「低賃金にしても企業は労働者を確保できた」という点も見逃せません。これは反対側から解釈すれば「日本の労働者は低賃金を甘受してきた」ともいえます。実は、この賃金に対する労働者の受け身の姿勢にも、ジョブ型雇用の国々と日本の決定的な違いが表れているのです。

今回は筆者らが、日本・アメリカ・フランス・デンマーク・中国の5カ国で、大卒30代40代の民間企業で働く人たちを対象に行った調査の結果を紹介したいと思います。表は「入社後に賃上げを要望したか」をまとめたものです。

入社後に「賃上げを求めたことはない」が、日本は7割を超えていますが、アメリカやフランスは3割を切っています。中国にいたっては、わずか5%です。日本では労働者自身が企業に賃上げを求めることはまれですが、海外では賃金について要望するのは当たり前なのです。

さらに、どのような場面で労働者が賃上げを求めているかを確認すると、「雇用契約の更新時」「来期の役割を決定する時」「評価のフィードバックの時」など、職務の内容や水準について企業と労働者がすりあわせるタイミングが多いことが分かります。ジョブ型雇用では、職務の内容と賃金が連動するため、職務の決定と処遇のすりあわせが同時に発生するのです。

実際、この調査結果を見たある経営者はこう述べました。「社員には聞かせられないが、正直に言えば日本でマネジメントするのはとても楽で、配下のメンバーは誰も報酬の話をしない。一方、海外でマネジメントするのは本当に大変。一人ひとりと毎年処遇について合意しなければならないし、メンバーはみんな『これだけの成果をあげている』などと報酬をあげるよう交渉してくる」

メンバーシップ型の日本企業では、入社時に包括的な雇用契約を結び、賃金は年功や職能資格と連動して決まるため、賃金と仕事内容が密接に連動しているジョブ型雇用のように、賃金について明示的に会話する必要性がないのです。

■賃金交渉の風土が欠落 取り残される日本

個人が企業に賃金について要望するのは、海外では入社後だけではありません。就職・転職によって入社する時も、賃金交渉は当たり前です。

「入社時に賃金の希望を伝えたか」に関する調査結果をまとめた表をみてください。日本は「会社から提示された額で合意した」が62%、「覚えていない・わからない」が14%と、全体の76%が入社時に賃金について要望していません。一方、アメリカやフランス、中国では「自分から希望額を伝え、それがかなった」が最も多く、受け身で「会社から提示された額で合意した」は3割に満ちません。

個人が企業に賃金の希望額を伝えると、希望がかなう割合は、希望がかなわない割合より高くなります。すべてかなうわけではありませんが、個人が賃金について声をあげることがまずもって重要です。

まとめると、日本は入社時も入社後も、労働者自身が企業に賃金について要望することはほとんどありません。それに対して、海外では入社時も入社後も、個人が賃金について要望することは普通のことです。つまり、賃金決定に対する労働者の主体性が日本と海外では全くといっていいほど異なるのです。

労働者にとって、賃金は生活の糧であり、非常に重要なものにもかかわらず、日本と海外で賃金決定に対する個人の姿勢に大きな差が生まれたのはなぜか。筆者はこう考えています。

日本では、長期雇用が根づいていたため、労働者は他社の賃金水準を知る機会がなく、自身の賃金が高いか低いか考えることがありません。また、同一企業で長く働き続けるためには、企業が決定した人事制度・賃金制度に受け身で順応するほうが周囲から高く評価されます。同調圧力の強い職場であれば、なおさらです。

しかも時を同じくして、労働組合による集団的労使関係が衰退し、賃金交渉の重要性がみえにくくもなってしまいました。しだいに労働者は賃金決定に関与できるとも、関与しようとも思わなくなります。

こうして日本では、「賃金は、企業が収益をあげ、その分配として得られるもの」という固定観念が形成されていきました。企業が収益をあげなければ賃金は増えないという考えは、一見まっとうですが、経営寄りの発想でもあります。労働者は本来、「(企業の収益に寄らず)労働分配率を高める」ことを求めてもいいはずです。

にもかかわらず、労働者が賃金について無口なのは、賃金決定の仕組みを知らず、声をあげることが許されるとも思っていないためでしょう。

中村天江(なかむら・あきえ) 博士(商学)。専門は人的資源管理論。1999年リクルート入社、2009年リクルートワークス研究所に異動。「労働市場の高度化」をテーマに調査研究や政策提言を行う。「2025年」「Work Model 2030」「マルチリレーション社会」など働き方の長期展望を発表。同一労働同一賃金や東京一極集中の政府委員もつとめる。2017年より中央大学客員教授。
中村天江(なかむら・あきえ) 博士(商学)。専門は人的資源管理論。1999年リクルート入社、2009年リクルートワークス研究所に異動。「労働市場の高度化」をテーマに調査研究や政策提言を行う。「2025年」「Work Model 2030」「マルチリレーション社会」など働き方の長期展望を発表。同一労働同一賃金や東京一極集中の政府委員もつとめる。2017年より中央大学客員教授。

実際セミナーなどで、前述の5カ国調査の結果を添えて、日本は個人が企業に賃上げを求める行動が欠落していると伝えても、「労働者がひとりで企業に賃金について要望するなどできない」「個人では要望できないのでエージェント(代理人)が間に入ってほしい」といった反応が返ってきます。

企業のほうも「海外のように労働者から直接要望されても困る」「より高度な仕事を担当することで賃上げを実現してほしい」という反応です。つまり、日本では、個人も企業も賃金について直接すりあわせることに全く慣れていないのです。

しかし、グローバル化が進み、国内でも海外でも外国人と共に働くことが増えています。いつまでも「日本人と日本企業だけは賃金について対話しない」と言っていられなくなります。グローバルスタンダードなジョブ型雇用を標榜するのであれば、賃金決定の慣習もまた変えていく必要があるのです。

日経ヴェリタス2021年1月24日号「プロが解説」より。同コーナーでポストコロナの働き方について連載しています。

[日経電子版 2021年01月28日 掲載]

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