中途採用時に、応募者の性格や前職での振る舞いを調べるレファレンスチェックが、新進企業中心に広がっている。調査会社が接触する相手は応募者の元上司や元同僚。だが手法が不適切だと、調査協力者や応募者に負担を強いる恐れがある。転職市場が広がるなか、再チャレンジを妨げる可能性もある。
「昨秋開始のレファレンスサービスは絶好調。実施数は約5000件になる」。バックチェックの名で前職調査を提供するROXX(東京・港)の中嶋汰朗社長は話す。
サイバーエージェント、スマートHR、フリー。同社のサイトには利用企業の名がずらりと並ぶ。転職が盛んになるなか、中途採用のミスマッチ防止が狙いという。
調査はネットで完結する。利用企業は応募者に「同意」を取り、同社は応募者が名前を挙げた前職の上司・同僚・部下にメールで質問を送る。回答はアルゴリズムで解析し(1)応募者の思考の特徴(2)採用後考えられるリスク(3)次の面接で聞く質問――を利用企業に戻す。
「ストレス耐性やチームワークに問題がある」「論理的で効率優先、設定した目的に向け一直線」。同社が企業向けに作った調査サンプルにはこんな文言が並ぶ。「結果が応募者のプラスになるかマイナスになるかは半々だ」(中嶋社長)
人手による調査を続ける調査会社もある。「経歴詐称は多い。企業と応募者が公平なテーブルにつけるようにするのが目的」。調査を40年手掛けてきた企業サービス(大阪市)の松谷広信会長は意義を語る。
企業の採用の自由、調査の自由は、判例で確認されている。1973年、学生運動歴を隠したことを理由とする採用取り消しの可否が争われた三菱樹脂事件で最高裁は「採用は法律その他の特別な制限がない限り原則自由」と判断した。
しかしその後、職業安定法は指針などで求職者の個人情報について、出生地や家族の職業、人生観や労働組合への参加など収集を原則禁じる項目を例示。2005年全面施行の個人情報保護法23条は、前職場が持つ人事考課や勤怠記録などのデータを本人の同意なしで開示することを禁じ、野放図な調査を制限した。
労働者のプライバシーに詳しい砂押以久子・立教大大学院講師は「調査会社が情報を前職関係の個人に求めるのは、個人情報保護法への抵触を恐れる元勤務先から情報収集ができないためだろう」と指摘する。
だが、応募者が指名した元上司や同僚は、知らないうちにリスクを負いかねない。退職者の情報は基本的に職場で知ったもの。就業規則で社内情報の漏洩を幅広く禁じている企業もある。
民法上の不法行為責任も無視できない。元同僚の病歴など重大な個人情報を伝えた場合だ。砂押氏は「昨年9月、病歴に関する調査自体を不法行為とし賠償を命じる判決が札幌地裁で出た。こうした調査に関与すれば責任を問われる可能性がある」と警鐘を鳴らす。
調査は応募者にとっても負担が大きい。
「嫌だったが、同意せざるを得なかった」。調査を受けた40代男性は振り返る。企業の採用責任者は「レファレンス自体を拒否されたら選考を中止する」と認める。応募者は同意するしかないのが実情だ。この問題に詳しい田村優介弁護士は「求職者には事情があるもの。日本のレファレンスチェックは彼らの不利益が大きい」と指摘する。
レファレンスチェックは米国で発展した。人材紹介会社、ロバート・ウォルターズ・ジャパンのジェレミー・サンプソン社長は「多民族のうえ成果主義なので、スキルを持ち成果に貪欲であるか、転職先のカルチャーで能力発揮ができるかを重点に聞く」と説明する。
日本の前職調査は個々の企業には有用でも、個人の再チャレンジには壁となりかねない。転職が広がるなか「採用時に何をどこまで聞くのが正当か、応募者と企業が納得できる基準が必要。応募者に不利な指摘には反論の機会を与えるべきだ」と砂押氏は指摘する。転職しやすさと企業の採用時の安心が両立する仕組みが求められている。
(礒哲司、砂山絵理子)
[日経電子版 2020年08月07日 掲載]