
新型コロナウイルス対策でリモートワークが広がったことをきっかけに、転職先として「リモートワーク可能な企業」の人気が急速に高まっている。一方、コロナ以前からリモートワークを実践していた人の間では、逆にオフィスへ出社することの重要性を認識する人も現れ始めた。オフィススペースを縮小する企業が相次ぐ最近のトレンドの逆を行き、オフィスを初めて設けたのは、絵画レンタルを手がけるベンチャー企業のCasie(カシエ)。同社に転職した小川大智さん(30)に話を聞いた。
――カシエに入社する前は、自由に好きな場所で仕事をする「ノマド(遊牧民)ワーカー」のような生活をしていたそうですね。
「経営コンサルタントとして働いていたころから、全国のクライアントのもとに飛び回る出張族で、自宅にいるのは1カ月に1週間ほどでした。当時から自宅の必要性はあまり感じていませんでした」
「その後、コンサルタントという職業に疑問を感じるようになり、退職を決めたのち、ふらっと1人で沖縄に旅行しました。那覇のゲストハウスで、季節ごとに住む場所を変えるという、究極に自由なライフスタイルを送る人たちに出会いました。行く先々でお金を稼ぐ方法を持っている人、場所にとらわれない仕事をしている人など、複数の場所にコミュニティーを持っている人たちをうらやましく感じました」
「自分自身もリモートのような生活を送ってきたつもりでしたが、『こんなに自由な生き方があるのか』と、ある種のカルチャーショックを受けました。この沖縄での体験は、退社後の生活に大きな影響を与えました」
「在職中からクラウドソーシングの仕事を始め、ライティングや動画制作、スポットのコンサルの仕事などで独立しても何とか生活のめどが立つ基盤を準備していました。退社後は、できるだけいろいろな場所で生きようと、大阪をベースにしつつ、友人の結婚式で訪れたハワイ、富山の知人宅、東京と沖縄のゲストハウスなどを、かなり転々としながら生活していました」
「約1年にわたって、そういった定住しない生活を続けていました。やがてフラフラした生活や成長ペースが鈍った自分に嫌気がさしたのに加え、お金が足りないストレスもたまり、『もっとできることがあるのでは』という気持ちが募っていきました」
――そんなタイミングでスタートアップ企業から声がかかったのですね。
「自分が遊び中心の生活を送るのと対照的に、バリバリと仕事をこなす、周りの人がかっこよく見えていました。そんなとき、もともと知り合いだったカシエの社長から『資金調達をしてドライブをかけていく(事業を加速する)ので力を貸してほしい』と誘われました。コンサル以上にヒリヒリできる経験になると思い、入社を決めました」
「当時のカシエはマーケティングも顧客対応もまだよちよち歩きだったので、それらを含め、幅広く担当してほしいということでした。何も形になっていないものを、一から組み立てていったり、日本ではまだ理解が進んでいないところのある「絵画」という商品のマーケティング戦略を考えたりと、難易度が高く、挑戦のしがいがあるミッションばかりで、今もワクワクしながら日々頭をひねっています」
「フルリモートの勤務形態で、自由に働ける会社だったことも入社を決めた大きな要因の一つです。出社が毎日必須の企業や、勤務時間が決まっている企業だったら、社員としてではなく、別の関わり方を選んでいたと思います」
フルリモートで気づいた「オフィス」の価値
――フリーランス時代やカシエでのフルリモート勤務を経て、最近は出社して、同僚と直接話しながら仕事する必要性を感じているそうですね。
「出社の必要性を感じ始めたころ、社長も同じ思いを抱いていたようで、オフィスを新設することになりました。オフィスができたことによって、コミュニケーションの質が一変しました」
「今は出社が週3回ほどですが、出社した際のコミュニケーションの円滑さに驚くことがしょっちゅうあります。例えば、エンジニアらと一緒にサイトの修正を進めることが多いのですが、細かいニュアンスをリモートで伝えるとなると、ドキュメントをテキスト化したり参考画像を探してきて共有したりなど、ミーティング前の準備が重要で、時間もかかります。でも、対面であれば、実際に画面を見ながら話せるので、かなり効率的に進められると感じます」

「カシエのようなスタートアップの場合、サイトを頻繁に修正し、部署をまたぐ連携作業が同時に多数発生しているので、出社したほうが業務効率は確実に上がるといえるでしょう。また、日常会話のなかからアイデアが生まれることが結構多いほか、毎日のように業務フローが変わるので、じかに説明したほうが手っ取り早いといったメリットもあります」
「ただ、毎日出社するとなると、逆効果になる面もあると思います。最近、出社が続いたことがあったのですが、同僚たちの会話が気になり、全く集中できませんでした。毎日出社するとなると、日常会話の要素が増えてアイデアが出てこないといった負の側面もあります」
「いつでも会えるとなると、何かを決めるときも『翌日でいいや』となりがちです。週数回しか出社しない場合は、集中して前に進める意識が強まります。リアルで会うときに方向性や優先課題を確認し、それを各自持ち帰って効率的に進められる面もあり、出社の機会を有意義に使うことができます」
――今後はどのような働き方をしていきたいですか。
「コロナに伴い、域外への移動の自粛や新入社員を教育する仕事が増えた影響で、現在はほぼ大阪をベースにし、出社も週3回とやや多めになっています。本音を言えば、今後は週1、2回が理想ですが、『絶対すべてリモート』とか『毎日出社』など決めず、柔軟にバランスをとって働くのが個人的には一番向いていると思っています」
「これまでのキャリアを通して、『成長スピードと居心地の良さの最適なバランス』を探し続けてきました。今後も自分のモチベーションがどういうときに一番上がるかを探りつつ、絵画レンタルという新しいサービスの潜在需要をもっと掘り起こしていきたいと思っています」
小川大智 1990年生まれ。2012年関西大学社会学部卒。大手経営コンサル会社に入社、16年に退職しフリーランスに。拠点に縛られない生活を始める。19年Casie入社。現在は最高マーケティング責任者(CMO)として新規顧客の獲得や所属アーティスト数の拡大を担当。
藤本翔社長から一言
2017年の創業以来、フルリモートワークを導入し、オフィスは持たずにきました。絵画を保管する倉庫への投資が先行し、オフィスにお金をかける余裕がなかったからです。
そんななか、6月、京都市の中心部に、3階建ての倉庫兼オフィスをオープンしました。ウィズコロナ時代に世の中と完全に逆張りです。オフィスを構えた理由は、創業期からフルリモートを続けてきた経験に基づいて、リモートを続けながら時々はリアルで会うと、生産性が大幅に上がることが分かったからです。
例えば、リモートの場合、誰かに連絡しても返事が来るまでに時間がかかることもあり、それが積み重なるとストレスがたまる。オフィスへたまに出社し打ち合せをするとなると、わざわざそれなりの距離を移動してくるので、「時間を無駄にしたくない」と互いに考え、生産的な議論につながりやすいという利点があります。

打ち合わせで決まったことを、皆がリモート環境に持ち帰り、再び集中して作業を進めることによって、アウトプットが高まる傾向もあります。必ずしも毎日は一緒にいないからこそ、たまにリアルで会ったときの生産性がさらに高まると感じています。従来、オフィスは「仕事をしに行く場」とみなされてきましたが、当社のオフィスはあくまで「コミュニケーションを取りに行く場」と位置づけています。
最近は「フルリモート可」の求人案件に注目が集まっているせいか、当社への入社希望も大幅に増えています。通常は1カ月に20人程度だった応募数が4月は200人を超え、2月時点で18人だった従業員数は現在、約40人にまで増えました。
コロナで仕事を失った人のほか、毎日出社する従来の働き方に疑問を感じる人など、関東、関西を中心に全国から多様な人材が応募してくれています。今後は、リモートワークが定着した組織をもっと強くするべく、コミュニケーションの場としてのオフィスも有効に活用しつつ、さらなる成長を目指していきたいと思っています。
(日経キャリアNET編集チーム 宮下奈緒子)
[NIKKEI STYLE キャリア 2020年07月18日 掲載]